桑名の土地柄とお米の歴史
【桑名には米会所がありました】
江戸時代(天明六年)から米の相場を決める所
ができました。
明治二十六年(1893)3月の記録によると
桑名は仲買人が22人
米穀売買石数1,197,570石
売買代金13,866,212円
と他の米穀取引所を凌駕するほど
賑わっていたようです。
明治時代には年貢が金納となってますます
米の売買が盛んになり木曽三川の河口に
位置する桑名は、伊勢・美濃・尾張という
日本屈指の穀倉地帯を背景に米の町として
の側面も持ち、米の町として栄えました。
当時,桑名の相場は、
日本で唯一夕方にも開き「桑名の夕市」
と呼ばれ全国にさきがけて相場を決めたので
【桑名の相場が全国の米相場を決める】
と言われたようです。
また、東京の料亭の酒盛りや宴席で歌われた
「♪桑名の殿様,時雨で茶々づけ・・・」
という『桑名の殿様』の歌は、米相場や
木曽の檜ひのきで儲けた者が芸者たち
に歌わせ全国に知られたようです。
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